資料集/吉原写真館の歴史

はじめに

 明治3年(1870年)頃、吉原秀齋は、新発田藩三条寺町にて本業である内科医の仕事の傍ら、肖像写真を撮り始めました。職業柄、西洋から入ってくる新鮮な知識にふれる機会も多く、自然に文化芸術に憧れを抱いたようです。その後、病院兼、写真スタジオは不慮の火事に遭い、それをきっかけに三条寺町から新発田町西ヶ輪に移動することになりました。
 明治23年(1890年)、秀齋の息子玄淋は外科医の仕事の傍ら、写真館の経営を始めました。吉原写真館創業です。新発田には歩兵十六連隊があり、写真が必要だったこと、流行に敏感な芸者さんが多数いて当時珍しい写真がもてはやされたこと、また、農閑期の楽しみとして農家の方々も多数来て頂いたことから軌道に乗ることができたと聞いています。
 その後、明治、大正、そして昭和、平成の激動期を乗り超え、令和の現在まで歴史ある写真館として、新発田市近隣の方々に愛されて参りました。
 時は移り、失われてゆくものの多い中、古き良き時代からの写真術を大切にし、また、新しい技術の可能性を吸収し、お客様の自然な美しさをひきだすことが肖像写真の根本であると信じて、未来に向かって精進する所存です。

資料集

2019.1.10|インタビュー|新潟日報

2013|写真の町・シバタ|PUBLIC ART magazine

2009.1.4|吉原写真館ものがたり|高知新聞

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